タイトル |
『ANTIGONE in the Debris 瓦礫の中のアンティゴネー』 |
日時 |
2013年3月8日(金)19:30 |
3月9日(土)15:00 / 19:00 |
3月10日(日)15:00 |
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場所 |
AI・HALL |
出演 |
魔瑠(遊気舎) / イシダトウショウ / アンディ岸本 / 西田政彦(遊気舎) /
浅雛拓 / 上田泰三(MousePiece-ree) / 佐々木淳子(劇団太陽族) /
堀部由加里(劇団五期会)
音楽・演奏:仙波宏文 |
原作 |
ソポクレース
(翻訳:柳沼重剛) |
作・演出 |
田中孝弥 |
ドラマトゥルク |
佐々木治己 |
演出助手 |
仲里良 |
美術 |
内山勉 |
照明 |
呉光雨 |
音響 |
とんかつ |
衣装アドバイザー |
植田昇明(kasane) |
写真 |
石川隆三 |
ビデオ撮影 |
株式会社シネマズギックス |
web |
飯村登史佳 |
宣伝美術 |
cursor
(カーソル:岡田ゆうや) |
協力 |
ライターズカンパニー田畑冨久子事務所 / 有限会社サンオープランニング /
株式会社WAC / イズム / 山室功 / 嶋田邦雄 / 山下智子 / 森岡慶介 /
里山智子 / 居原田晃司 |
制作 |
浜口朋子 / 間屋口克 |
企画制作 |
清流劇場 |
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『セイメイノトウトサ。悲劇か、惨劇か。』
王位を巡る争いの中、相打ちで一度に二人の兄弟を失ったアンティゴネー。弟は国のために殉じたとし、手厚く弔われるが、兄は国家反逆のため、路上に打ち捨てられ、何人たりとも葬ることは禁止された。この布告に反し、アンティゴネーは埋葬の代わりにと、兄の亡骸へ土をかけた。布告を出したテーバイ王・クレオーンは激昂し、アンティゴネーを岩屋へ幽閉する。アンティゴネーは絶望のうちに自害するが、クレオーンも悲劇に見舞われる。アンティゴネーの婚約者でクレオーンの息子・ハイモーンは自刃し、クレオーンの妻も息子の死に絶望し、縊死する。
筑波大学名誉教授で今回底本として使用させていただくテキストを翻訳された、故・柳沼重剛氏は『アンティゴネー』について、興味深いことを記されている。
「普通の人間は何とか妥協点を見つけて生き抜こうとし、生きてさえいればそのうちに何とか出来る日も来ようと期待するか、あるいは、死ぬのはこわいから、死なずにすむための妥協点、あるいは口実を何とか見つけようとする。しかし、悲劇はそこから生まれない。救いのない惨劇が起こるおそれは十分あるが、それは悲劇とはちがう」。
悲劇か、惨劇か。
この作品を巡っては、『国の法が大事なのか、それとも人間としての掟が大事なのか』という問題が議論されてきた。
かつて、ヴァルター・ベンヤミンは、法と掟を別々に考えた。
法は犯した者を罰する。掟は禁止(べからず)を作る。
法と掟。この二つは、一つの価値観「セイメイノトウトサ」によって結合され、今や私たちは、法により罰せられるだけではなく、法を犯すことも禁じられている。
法を犯す/越える時、私たちは「法の正しさ」へ疑問を同時に投げかける。
法令遵守。法と掟が混同される現在、私たちが遵守しようとする「法」とは何か。
アンティゴネーがあの時、遵法へと転向していたなら、どうだったのか。
そしてあの日以来、私たちを取り巻く世界に降り注ぐものは悲劇か、惨劇か。
『悲劇か、惨劇か。』
私たちが選択すべき時は、今だ。
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